uta3daysのブログ

自分の体験や興味あるものをつらつらと書いています

優しくなりたい。


優しくなりたい。斉藤和義の歌じゃないけど最近は良くそう思うことが増えた。
ニートの時やフリーターの時はあんまりイライラしたり腹が立つことは少なかった。社会人になり1年が経ちイライラしてると思う瞬間が増えた。

電車の中でイライラしやすい

特に朝の満員電車でイライラしやすい。少し肩が当たっていたりバッグが当たると腹が立ってしまう。以前はスルーできてたことが感に触る。これは僕が社会人になったからなのか、単純に満員電車という空間が人を苛立たせるのかわからない。わかることは満員電車を好きな人間は限りなく少ない。好きな人がいるなら1度喫茶店で小一時間話してみたい。コツを聞きたい。そのコツを知ることができれば僕の生活クウォリティも1段階上がるだろう。

優しさにはゆとりが必要

席を譲ったりする事も少なくなった。今の僕なら倒れている人がいても早足で歩いてスルーしてしまうかもしれない。そんな恐怖がある。
東京の人間は冷たいという。彼らは(僕も含め)余りにも疲れすぎているのかもしれない。もしくは忙しすぎるのだろう。それがexcuseになるかはわならないが冷たい理由は理解できる。
仕事はある意味誰かへの奉仕である。ある仕組みに組み込まれ自分が好む好まざる関係無しにお客様にサービスをする。会社を出た後にサービスをする気力はすり減っている。
そんな擦り切れた僕らに優しさを求めるのは酷ではないだろうか。

優しさと気弱のボーダーライン

社会でも優しい人間はいる。しかしそれは多くがどちらかといえば気弱と呼べる。嫌われたくないゆえの優しさ。気弱であることは社会では生きていくのが難しい。草食動物が肉食動物の群れで暮らすのと同じだ。気弱であることは美徳ではない。

それでも優しくなりたい

社会はタフでないと生きていけない、しかし優しくなければ生きてる意味がない。確かThe Long Goodbyeのセリフにあった。タフに生きることさえ難しい。タフに生きることはある意味優しさを捨てることだ。しかし優しさを持ってもなおタフな男。そんな男に僕はなりたい。
イライラしてしまう自分を許しどんな場面でもタフでいよう。辛い時こそニッコリ笑う。そして他者に手を差し出す。
簡単なことではないが厳しい状態でも自分を信じニッコリ笑い優しさを持つ。転んでも転んだ自分を許しまた立ち上がる。そんなタフな男になりたい。本当にタフな男は自分と人生に打ち勝つ男だ。他者は優しさを示すためにいる。打ち破るためではない。そう考えればタフである事と優しいことは背反しない。
今日から僕はタフで優しい男になる。
以上