読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

uta3daysのブログ

自分の体験や興味あるものをつらつらと書いています

逃げ恥がキュンキュンしすぎて辛い

なんなの本当に『逃げ恥』。キュンキュンしすぎてヤバい。ガッキー可愛すぎる。ひらまささんの気持ちめちゃくちゃわかる。
ガッキーは現実的にありえる可愛さなのに圧倒的に可愛いという奇跡。モデルなどの美しさとは違うそこにある可愛さ(しかし現実にはあり得ないという矛盾)

ガッキーの可愛さだけじゃない

逃げ恥が人気なのはガッキーの可愛さだけではなく随所にあるユーモアがアクセントになっている。下手をすると甘くなりすぎたりひどく凡庸な作品になる。しかしガッキーの妄想パロディやひらまささんの真面目すぎてズレている思考が笑いを呼び作品に深みを与えている。

平匡さんに共感しまくり

この作品の面白いところは女性の方が大人で恋愛の余裕がある事だ。バブル時代の作品は男が恋愛の主導権を持っていた(その実は女性がコントロールしている)平匡さんはプロ独身で恋愛弱者である。20代の多くが交際経験の無い今平匡さんの気持ちや行動を理解できるだろう。僕もそうです。僕もそうです!重要なので2度言いました。

普通が普通ではなく憧れになった時代

ドラマは人々の憧れを描く。バブル時代だと高級料理を食べ、高級なホテルに泊まる。そんなデートをドラマで描いていた。それは一般の人が憧れるが手の届かないことだった。
『逃げ恥』の手を握ったり、デートをしたり、キスをする事に皆がキュンキュンしているのは多くの人がその事をできていないからなのだ。昔なら当たり前すぎてドラマなどで描かれることがなかったことが今ドラマになっている。これはかなり深刻な事態である。

『逃げ恥』の罪

『逃げ恥』ではガッキーが平匡さんを先に好きになり積極的にアプローチする。プロ独身の平匡さんはそのアプローチに困惑し逃げるが最後は向き合い付き合うことになる。でもなぜガッキーが平匡さんを好きになるのかがあまり描かれない。『逃げ恥』のガッキーは可愛くて最高だがどこか達観して羞恥心が少ない。ガッキーに人間性が感じられず物語を進めるためのキャラクターのように考えられる。
普通女の子から壁を破ってくれることは無い。
平匡さんは何も試練を受けていない。現実だと平匡さんはずっとプロ独身だろう。そのことを言わない、自分から動く平匡さんを見せない『逃げ恥』の罪は重い。

『逃げ恥』人気の社会背景

『逃げ恥』で良い思いをするのはプロ独身の平匡さんとアラフォー独身の百合である。2人とも年下の可愛い女性とイケメンに言い寄られる。このことはどれだけ平匡さんや百合のような人が多いかを示している。彼ら彼女らに夢を見せることは良い。死を恐れる人に天国の存在を伝えるように。しかし本当に描くべきことは甘い甘い夢を見せることではなく厳しい現実だが平匡さんや百合さんが自分から自発的に動き試練を乗り越える話ではないだろうか。次はそのような作品が作られ光を浴びることを願う。

まとめ

ガッキーみたいな彼女が欲しい